女性管理職について考える(大きなお世話だけど)

女性管理職についてのコラム(女性管理職のススメ ~部下育成での学びを「子育て」に活かす~)を読む機会があった。
20代後半から30代の働く女性に向けて書かれたもので(たぶん)、管理職経験者としてのアドバイスを交えながら後輩たちの背中を優しく押す内容だ。

そもそも44歳の個人事業主のおじさんがなぜそのようなものを読むことになったのかというと、そのコラムの書き手が妻の友人だから、というだけのことなのだけど、自分から読もうとは思わないであろうテーマだけに興味深い。


面白いのは(いや、面白いというのは不適切かもしれないけど)、女性のほうが管理職になるハードルを自ら高く設定する傾向にあるということだ。
まだまだ男社会の企業にあって、〈女性であるにもかかわらず〉管理職になるのだから、当然高い能力が必要だし、献身的に働いて結果を出さなければいけないと、当の女性自身が考えてしまっているというのだ。

女性管理職と聞いて僕が真っ先に思い浮かべるのは、ドラマ『Major Crimes 〜重大犯罪課』のシャロン・レイダー警部。頭がよく、肝が座っていて、決断力があり、上品さも失わない。心から大切にしているクリスマスやドジャースの試合よりも、まずは事件解決が優先。
……こういうのがいけないのでしょうね。これはドラマの話。レイダー警部のような資質を要求されたら、管理職のなり手などいなくなる。女も男も。

警部ほどでなくても、ずば抜けて高い能力が管理職に必要とされるなら、世の管理職のうち管理職失格と言われても仕方ない人も出てくるだろう。そうでなければ、「困った上司のトリセツ」みたいな情報が山ほどネット上にあることの説明がつかない。

女性だからという理由で、より高い能力や組織への献身が求められる(と思わされてしまう)のは、明らかにおかしい。


おかしいとは思うけれど、それなりの規模の企業における女性管理職について、僕が語れることはほとんどない。
いわゆる管理職の経験はないし、そもそも会社勤めが続かない人間である。
コラムにあるように管理職になるというのは誰にでも巡ってくるチャンスではないのだから、機会に恵まれたならやってみればいいと思う、くらいしか言えない。

思うに、男性的な価値観が支配的な組織において女性として活躍しようとすることがハードルを高くしてしまっているのであって、男性中心ではない組織を想定すれば、女性管理職にまつわる諸問題もなくなるのではないか。

ということで、ここで急に話を協同労働にもっていく(我田引水、牽強付会、なんとでも言ってください)。


Workers Co-operative、労働者協同組合では、仕事に従事するものは平等というのが大原則である。
今年秋施行の労働者協同組合法に定めるところでは、経営にあたる理事を3人以上置くことになっているが、その理事たちは選挙で選ばれる。基本的に組合員全員が出資することになっており、しかもその出資額の大小にかかわらず投票権は一人一票である。理事の任期は2年以内。
つまり、経営陣が圧倒的な権力を持って人事を行なうわけではないし、民主主義的な手続きによって経営陣を交替させることもできる。

働き方は労働者自らが決める。たとえば出産や育児のために仕事のペースを落とすことも、あるいは一時離れることも(男女ともに)、自分たちでルールを決めて運用する。

こういう組織の場合、「女性管理職」という表現そのものがナンセンスだろう。

理想論に過ぎないと思われるかもしれない。所詮は社会の縮図、ジェンダーギャップ指数116位(146か国中、2022年)の日本社会であるなら、推して知るべし……か。

それでも、平等という価値を大きく掲げる事業体というのは、株式会社とは考え方が違う。株式会社が社員の平等を実現しようとするとしたら、それが利益の最大化につながる戦略だからである。平等という価値そのものを評価しているわけではない。

平等という価値を何が何でも守るという信念、すなわち民主主義への信頼は、協同労働の存在理由の大きな部分を占めるものであり、協同労働が社会に提供できる価値なのだと思う。
だから、協同労働の定義からして、そこにジェンダーによる格差などあってはならないし、あるはずもない。「それをやっちゃあ、おしまいよ」という話なのだ。


まだ想像の段階に過ぎないけれど、男だとか女だとかに関係なく、それぞれの人が、その能力に応じ、その必要に応じて働ける場所を実現させたい。


(2022年7月20日)



 

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