いまふたたびの地域通貨

地域通貨がまたブームらしい。

最初のブームは20世紀から21世紀に変わる頃。
1999年にNHKで『エンデの遺言―根源からお金を問う』が放送されたのをきっかけに、全国各地で次々に地域通貨が産声を上げた。

実は僕も、神奈川県大和市で2002年にはじまった地域通貨LOVESにかかわったことがある(といっても、広報紙の編集だけで、地域通貨の仕組みづくりなどに携わったわけではなく、転職もあって1年ほどでその活動からは遠ざかってしまったんですけど)。
LOVESはLOcal Value Exchange System(地域価値交換システム)の頭文字をとったもので、全国初のICカードによる地域通貨だった。利用者がICカードを持たないといけないとか、カードリーダーのない店舗では利用できないとか、普及への壁があったので、紙の「ラブ券」を並行して発行するなどいろいろと工夫を重ねながら取り組みがつづけられていたが、結局、地域に根付くことはなく、5年ほどで発行停止に至った(広報紙編集担当に能力がなかったせいかも)。

そもそも地域通貨とは、一定の地域内でのみ流通するお金のことで、地域経済の活性化を目指すもの、地域住民同士のつながりを生み出そうとするものなど、いくつかのパターンがある(LOVESはその両方を目指した)。
21世紀が始まる頃にたくさんの地域通貨が日本で生まれ、そして消えていったものが少なくない。

なぜいま地域通貨の話を書くのかというと、スペインでかなり前衛的な取り組みをしているカタルーニャ総合協同組合(CIC)では、組合員同士の取引を地域通貨で行っているという話を読んだからだ。
CICは、反資本主義活動家のエンリック・ドゥランがその設立に中心的な役割を果たした協同組合で、アナキズム的な性格が強い。協同組合の傘のなかでそれぞれが自由に自分の商売や生活を営み、国家や企業から自立して、人生のあらゆる側面について自己による管理の度合いを高める方向に歩みを進めている。
独自の通貨を使っているのも、そうした傾向によるものだろう。
(CICについては、ネイサン・シュナイダー『ネクスト・シェア』を参考にした)

Good Scenery Commons(以下、GSC)がモデルにするには、CICはその計画が壮大過ぎるが、惹きつけられるところが多い。
ということで、GSCでも地域通貨らしきものを扱えないかとふと思いつき、ホームページをつくりながらどんどん横道にそれていって、挙句この記事を書いている。

何年振りかに、『エンデの遺言―根源からお金を問うこと』と『エンデの警鐘―地域通貨の希望と銀行の未来』、地域通貨と言えばこの2冊という本を開いてみる。
1994年、死の前年に作家ミヒャエル・エンデが遺した言葉が紹介されている。


「現状では、選択肢はエコノミーの破局かエコロジーの破局か、この二者択一しかないということです。私たちの経済は乱伐乱掘なしには維持できません。ここで私たちが真剣に考えなければならないのは、この二者択一そのものから脱出するためには、何を変えなくてはならないのかということです。私たちがいつも耳にする提案は、このシステムそのものは変えずに、それをちょっと利口にしようとするとか、このシステムがもたらす結果を少し後にずらそうとするものばかりです」

「現代の危機とは、私たちが見えない危機に対応しなければならないということです。…まだ知覚できず、ただ必ずやってくることだけがわかっている危機に対応しなければならないのです。…私たちは意識を変えていくことによって、まだ見えない危機に対応できるようにならなければなりません。この危機が見えたときにはもう手遅れなのですから」

「このシステムでは需要を満たすために物が生産されるのではなく、物を先行して生産して、需要は後から、その物のためにつくられるのです。昔は顧客から注文を受けて仕立て屋は洋服をつくりましたが、現代の服飾産業では、一年前から未来のために多額な資本を投入して生産しています。企業家は、その投資から利潤を得るため、需要を後からつくり出さなければなりません。…そのため、経済は需要を満たすという本来の目的から外れ、経済のために需要が生み出されるという、逆説的な状態が生じています」

「個々の企業家に、責任ある行動を呼びかけても意味がありません。個々の企業家はこのシステムの一部であるかぎり、何もできません。企業家にできることは、この過酷な競争の中で、自分の企業が生き延びるよう、さまざまな手段を駆使するだけです」

「資本は増え、成長する。とくに先進工業国の北米、ヨーロッパ、そして日本で、資本はとどまるところを知らぬかのように増えつづけます。そして世界の五分の四はますます貧しくなります。それというのも、この成長は無からくるのではなく、どこかがその犠牲になっているからです」

「民主主義では、いつも理性が勝利するわけではなく、近視眼的な利が勝利をおさめることが少なくないのです。…この経済システムを変革できないのは、私たちの民主主義ともかかわっています。ですから、この問題は政治を通じては解決できないのです。…問題の解決は、経済人自身がこの問題を理解すること、それ以外に道はありません。それも、倫理的な姿勢からではなく、このままでは己の墓穴を掘ることになると理解することから、どうすれば自己破滅から抜け出せるか、考えることなのです」


愕然とするのは、およそ30年前にエンデが語ったことが現代にそのまま通用するということばかりでなく、地域通貨の実践をはじめとした多くの良識ある取り組みが粘り強く進められ、あるいは倒れても何度でも立ち上がって挑み続けているにも関わらず、この30年で、ますます資本の増殖を目指す、経済成長を前提とするシステムが強化され、労働からの疎外、自然破壊が加速していることだ。

エンデは思索の末、問題の根源はお金であるという答えにたどり着いた。交換の道具としてのお金と、利子を生み、それ自体が商品として流通し、自己増殖を続ける資本としてのお金を区別して認識する必要があると、エンデは強調している。
増殖することだけを目的とする資本のために、企業は成長を強いられ、その成長のために人と自然が犠牲になる。この金融システムを変革しなければ、人間を含めた自然の破滅を迎えることになる。そのためには、貨幣をもう一度、実際になされた仕事やつくられたモノと対応する価値として位置付けることをしなければならない。
エンデが指摘する問題の本丸すなわち貨幣に対する態度を改めない限り、エコバッグも紙製ストローもSDGsも本質的な解決にはならないだろう。

お金が商品として飛び交う虚の経済、膨れ上がった金融市場に対し、実際になされた仕事に紐づく実の経済があり、そこに対応する貨幣として地域通貨を捉えることができる。
地域通貨は、利子という仕組みを拒否する。マイナス利子(時間とともに価値が減衰する)の考えを採用するものもある。
それは、交換を媒介する道具として、人々を結び付ける。地域内で循環するお金は、富が域外に流出することを防ぎ、地域の経済に活力を与える。

いいことづくめのように見えるが、長く生き残る地域通貨は少なく、円やドルに対抗しうる、あるいは独自の領域を形成するものには育っていないのが現実だ。


そこで、現在の地域通貨ブームだが、どうやらデジタル技術の進歩がエンジンになっているらしい。電子マネーの一般化、ブロックチェーン技術の開発と仮想通貨の隆盛。ブロックチェーンについては、「誰でもわかる」「わかりやすい」という説明を読んだけど、わかったようなわからないような……。
これまでは主に紙幣や通帳でやりとりされていた地域通貨だが、それをアプリひとつで決済できるようにすることで利便性を向上させ、利用や導入のハードルを下げ、また運営・管理にかかるコストも抑えられるようになった、ということのようだ。(LOVESは早過ぎた取り組みだったのかもしれない)

現在では、地域通貨のプラットフォームを提供する企業が現れ、デザインや実際の導入に際しサポートを受けられる。地域の金融機関が地域通貨を発行し、成功例となっているケースもある。

正直な感想を言えば、現在の第2次(?)地域通貨ブームに、あまり希望や期待を感じられない。要は、デジタル技術により地域通貨をビジネスとして成立させられる見込みが出てきた、という話のように見えるからだ。暴走する資本主義に対抗する手段としての地域通貨が、資本主義に取り込まれようとしていると言い換えることもできる。地域通貨までもが商品化してしまう。
地域通貨は、国や自治体の管理でもなく、私企業の所有でもない、人々の共有資源=コモンズでなければ本来の目的を達せられない。どうしたら地域通貨を、資本主義に対するカウンターカルチャーとして自立させることができるのだろうか。


こうなったら(どうなったら?)、GSC内で流通する通貨をつくって実践してみるしかない。
造園・緑化の事業を進めながら、地域通貨(地域じゃないけど理念は同じ)に手を出す? 手元のビジネス書には、同時に2つ以上のビジネスを立ち上げてはいけないと書いてある。その忠告は絶対に正しいと思うけど、やめられない。GSC内通貨はビジネスじゃないから、まあいいか。
ああ、ますます経済的な成功が遠のいていく。


(2022年2月3日、今日は節分)

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