コモンズのルール(草案)

 過ぎた出来事を思い出して、くよくよすることもある。そのほとんどは、人との間に起きたことだ。怒られたり、笑われたり、呆れられたり、無視されたり……。過去に囚われて、今この瞬間を無駄にしてしまうのは馬鹿げたことであると頭ではわかっていても、そういうことをゼロにするのはなかなか難しいものだ。

 「仕事として何をやるかより、誰とやるかのほうが、その仕事の楽しさを決定づけると思う」。先日、仕事仲間と話しているときに、こんな言葉が口をついてでてきた。やりがいのある仕事、社会的に意義のある仕事をすることは重要であると思うけれど、自分の幸せということを考えた場合には、どういう人と一緒に働くかということのほうが大きな影響力を持つのではないか。

 コモンズは基本的にオープンな場であるべきだと思う。一緒に働きたいという人がいれば無条件に受け入れる。去る人がいれば、祝福とともに送り出す。そうありたい。
 一方、「誰と働くか」が重要だというのなら、当然「一緒に働きたくない」種類の人もいることになる。たとえば……、と例を出すのは穏やかではないけれど、「国家を守るためだ、己の命をかえりみずに戦え」と言うような人とか、「私が成功したのは努力したから。貧しいのは自己責任だろ」と言うような人とか、「副反応が心配だとか言わないでワクチン打てよ。お前みたいなやつがいるから経済がまわらないじゃないか」と言うような人とか。いや、こういう対立が深まっていることが現代の大きな問題であり、対立をどう乗り越えるかが課題になっている。
 コモンズの理想と狭隘な自分の心、この折り合いをどうつければいいのだろうか。

 人類や社会に対しての愛と目の前にいる人間への感情の矛盾、ロシアの文豪ドストエフスキーもこの問題を取り上げている。


「実はあたくし、人類愛がとても強いものですから、本当のことを申しますと、ときおり、自分の持っているものを何もかも棄てて、リーズとも別れて、看護師になろうかしら、などと空想することがございますの、目を閉じて考え、空想しておりますと、そういう瞬間には抑えきれぬほどの力を身内に感じるのです。どんな傷口も、どんな膿みただれた潰瘍も、あたくしをひるませることはできないはずですわ。あたくし、自分の手で繃帯をかえてあげ、傷口を洗ってさしあげ、苦しんでいる人々の看護師になってあげられれば、と思いますの。……ですけれど、あたくしがそんな生活に長いこと堪えぬけますでしょうか?……目を閉じて、よく自分にたずねてみることがございますの。お前はこの道で永く辛抱できると思うか? もしお前に傷口を洗ってもらっている患者が、すぐ感謝を返してよこさず、それどころか反対に、さまざまな気まぐれでお前を悩ませ、お前の人間愛の奉仕に目をくれもしなければ評価もしてくれずに、お前をどなりつけたり、乱暴な要求をしたり、ひどく苦しんでいる人によくありがちの例で、だれか上司に告げ口までしたりしたら、そのときにはどうする? それでもお前の愛はつづくだろうか、どうだろう? ところが、どうでしょう、長老さま、あたくしはもう結論を出してぎくりといたしましたの。かりにあたくしの《実行的な》人類愛に即座に水をさすものが何かあるとしたら、それはただ一つ、忘恩だけですわ。一言で申してしまえば、あたくしは報酬目当ての労働者と同じなのです。ただちに報酬を、つまり、自分に対する賞賛と、愛に対する愛の報酬を求めるのでございます。それでなければ、あたくし、だれのことも愛せない女なのです!」

(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』より)



 人類の幸せを願いながら、たとえば「あのヤロウの頭に鳥の糞が落ちてくればいいのに!」と思うのは矛盾している。でも、人間とはそういう存在だと、ドストエフスキーは言っている(たぶん)。それは、救いでもあるし、人間としてどう生きるかを考えるための出発点でもある。

 神様なら赦すだろう。仏様なら慈悲の心で接するだろう。
 だが、聖人君子ではない凡夫(僕のことです)はどうすればいいのでしょう?

 ここで、また海賊にたずねてみる。船に乗る全員が、お互いを理解し合い、親友とも家族とも言えるような結びつきを持っていた……、そんなわけない。だから、掟が必要だった。最低限守るべきラインを示し、そこを越えなければ寛容に接する。
 考えてみれば、人が集団をつくるとき、その集団ごとにルールを持つ。マフィアも、村も、商家も、それぞれに掟を有していた。
 掟は諸刃の剣である。集団を維持する知恵だが、その運用を誤れば、ルールに縛られ、相互監視で息苦しい集団が生まれる。僕自身、規則の厳しい組織には1分たりともいられない。ルールだからという理由で、ああしろ、こうしろと行動を強制されたり制限されたりするのはごめんだ(だから、会社勤めが長続きしない。出勤時間が決まっていることすらつらい。こういうのを社会不適合というらしい)。
 ルールの制定と運用には、慎重を期さなければならない。

 そこで、Good Scenery Commonの掟……、「掟」っていう言葉は厳しすぎるなあ。規則、規範、プリンシプル、心得、流儀……。ともかく、そういうものの草案をつくってみる。


〇経験や技術によって給与に差は設けない。仕事に対する責任の大小によって給与に差を設けることを認めるが、その差は2.5倍までとする。

〇性別、国籍、学歴によって、待遇に差を設けない。

〇収益から必要経費、設備投資、次年度への繰越金などを引いた純利益については、メンバー全員で分配する。分配の割合は話し合いで決めるものとし、差は2.5倍までとする。

〇毎年、売上の1%を環境保護活動、社会的事業等に寄付する。

〇働く日数、時間は法に定める範囲内で、各自が決める。ただし、現場作業については、顧客および一緒に働く仲間との話し合いにより決定したものに従う。

〇それぞれの意見を尊重し、何ごとも話し合いによって解決する。全員一致を原則とするが、議題によっては一人一票の投票権によって多数決で決定することも認める。ただし、現場作業において意見が分かれた場合は、現場ごとに定める現場責任者の指示に従う。

〇道具、機械は、顧客も含めて関わる人全員の共有財産。大切に扱い、手入れを怠らない。

〇顧客に喜んでもらうことを第一に考え、お金を惜しんではならない。売って悔やむは商人の極意。ただし、自分の時間、生活、健康、家族を犠牲にしてはならない。

〇義理人情を第一に、利益はその次に考える。

〇倹約する。道具は安いものを買うのではなく、長く使えるもの、修理できるものなどを選ぶ。自分たちを大きく見せるための出費は慎む。

〇仕事をすれば環境に負荷をかけるのは避けられないが、常にそれを最小にする努力を継続する。

〇政治的信条、信教などそれぞれの思想や信念を尊重し、考えの異なる者を否定、排除しない。

〇誰かがミスをした場合、そのことを責めない。失敗から本人が学ぶことを信じ、寛容な態度で接する。

〇それぞれができることをやる。できないことは無理をしない。多様であることを肯定する。

〇上記のルールは、いつでも全員の話し合いと意見の一致により変更・追加・削除することができる。


 以上、思いつくままに書いてみた。思いつくままだし、ただの寄せ集めだから、このままでは使えない。けれど、たとえばこんなルールに同意してくれる人であれば、一緒に働くのも苦にならないだろう。

 ただ、対立を乗り越える云々という話については、何の解決策にもならない。結局のところ、対立するような人と一緒にならないようにフィルターをかけているわけだから……。「住み分け」は生き物同士が無用な衝突を避けるために有効な方法かもしれないが、易きについて過剰に住み分けを進めてしまっていること(たとえば世帯収入によって通う小学校が違うとか)が、世間の分断を深刻にしているようにも見える。

 どうやら僕は違う次元の話をごっちゃにしてしまっているらしい。話がとっ散らかってる。

 このブログは、コモンズというよくわからないものを一からつくっていこうとする過程、メイキングを記録し、読んでくださるみなさんにはそれを目撃し、できれば一緒に体験していただきたいということで書いている。だから、今回の記事も無理に整理せずに散らかったまま掲載しておく。
 決して、せっかく書いたものをお蔵入りにするのがもったいないとか、書き直すのが面倒だとか、そういう理由ではない。絶対に違う。そんなわけがない。春の女神に誓って……。  


(2022年4月16日、イースターの満月の下で)




人気の投稿