期待しない、あてにしない

投票はするけど、期待はしない。
というのが、選挙についてここ数年思っていることです。

第一に、世の中にはたくさんの人がいて、それぞれ立場も違えば、考え方も違う。その中にあって、自分が常に多数派とは限らないし、どちらかといえば少数派であることのほうが多い。であれば、選挙の結果が期待通りになる確率は低いだろう、と。

第二に、選挙は社会の現状を映す鏡だと思っています。選挙で世の中が変わるのではなく、世の中が変わってきたときに、それが選挙結果に反映される。そういう順序だと思っています。

もちろん、良い政治がおこなわれて住みよい世の中になる可能性を否定するわけではありませんが、誰かが世の中を良い方向に変えてくれるのを期待するだけではいけないな、というが「期待しない」の意味です。投票に行ったら社会が良くなりました、なんて虫のいい話はないでしょう。

今回の参院選も、僕が身を置いている立場からすると残念な結果だと言えますが、当然と言えば当然の結果。それはそれとして、自分のやれることをやるしかないなと思っています。(と言いつつ、テレビの開票速報を結構長い時間見ながら、ぶつぶつ文句を言ったりしていたのですが……)


政治学者の中島岳志が、

①リスクの社会化(セーフティネット強化)or リスクの個人化(自己責任)

②リベラル(寛容)or パターナル(権威主義的・父権性的)

という2つの軸で、それぞれの政治家の立ち位置を分析していますが、これを使うなら、「リスクの社会化」で「リベラル」、つまり、リスクはみんなで負担し、他者に対して寛容な社会を僕は望んでいると言えます。

成功も失敗も個人の責任に帰すのは無理があるし、世間の在り方としてあまりに冷たい。国籍や性別、障害などで「自分たち」と「それ以外」を分けて、「自分たち」だけがうまくいけばいいという社会は世知辛い。
このように考えるのは、別に僕が博愛精神にあふれた聖人のような人間だからではなく、「失敗」することも、「それ以外」に分類されることも、それなりに高い確率で自分や家族の身に起こる可能性があるからです。生老病死は自分ではコントロールできないわけですから。リスクの個人化もパターナルも、どちらも強者の論理でしょう。


まずはそれぞれが自分の手の届く範囲に、理想の社会のミニチュアをつくる。そうした取り組みがつながっていって、世の中を動かすような大きな流れとなったならば、自ずと政治にも反映されることになる(はず)。

キリクイ / グッドシーナリーコモンズを、自由・寛容・平等を重んじ、相互扶助の精神を共有するコミュニティとして育てていきたいと思っています。同様の取り組みをしている人たちと互いに協力できるくらいまで地盤のしっかりしたものにできれば、またその先の展開も見えてくるのかなあと思っています。


それにしても、税金や社会保障費の負担がもう少し減らないかしら。健康保険料を払うために身体を壊しそう。教育費を考えると頭が痛いわ……。


(2022年7月16日)

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